■母を見送った4日間と言う時間。
しがらみから開放されて童心に戻るひと時と過去との対話
この数日間はそんな問と答えが自分の中で堂々巡りをする様を、どこか穏やかな眼差しで眺めていたのです。自分はどこから来てどこに行こうとしているのかと思いをめぐらす時間。それはとても深い想念に包まれた貴重な体験でもありました。
人生は時にとても不思議な感触を味わう瞬間があります。自分では破天荒に型に縛られずに動き回ったつもりでいても、気がつけばお釈迦様の手の中でただグルグル回っていただけというように、親戚一同が介して話をしていると、誰もがなるべくして現在のかたちになっているという感慨に捕らわれるのです。
そしてまた一人一人の存在が、それぞれの関係にもたらしている有形無形の影響というものに気がつくのです。
ひとりの人間がその生の
ネットワークの中から席を譲ると、その人が存在していたが故に語られたこと、語られなかったことが現れてくるのです。この事を母が知ったら悲しむだろうな、と言われるような出来事は、母が存命中は人々の心の奥底にしまわれていました。ですが、そう言った
話題もその人が亡き後は自然に人々の口に上がってくるもので、それによって初めて、遠い過去にあった出来事の本当の意味を理解したりするのです。遠い昔、私は幼い
子どもでしたから、大人である両親の姿は親戚一同のそれぞれが見る視線とは、互いに違ったものであったことでしょう。
葬式という場では
土地の相互扶助
システムが現在も生きており、地域の人たちは手際よく作業を分担して、その儀式を進めてくれます。遺族はその好意に支えられながら、久しぶりにそんな顔を合わす親族とのやり取りに十分な時間を当てることが出来ました。
posted by 社長 at 13:28| 栃木

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日記
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